仙台市電 1976 and others
 地元、仙台の市電です。大正15年11月に3.3kmが開業。 その後、昭和3年に循環線全通・芭蕉の辻線開業(芭蕉の辻線は戦争の為、昭和19年廃止)。 さらに、長町線、八幡町線、北仙台線、原ノ町線と路線を延ばし、 最盛期の昭和30年代には、路線総延長は約16km、 1日の輸送乗客は10万人を数えましたが、 よせ来るモータリゼーションの波には太刀打ちできず、昭和44年に北仙台線が廃止。 さらに7年後の昭和51年には全線が廃止されてしまいました。
 昭和の仙台を支え続けた仙台市電の“在りし日の姿”と“その後”です。
 廃止前
 子供の頃は、市電が走っているのが当たり前と思っていたのですが、 家が沿線から外れていたこともあり、日々乗れるという訳でもありませんでした。
 それでも、たまに学校の帰りに市電で病院に通ったり、 親戚の家に行くのに必要もないのに市電に乗ったり(しかも循環線の逆廻りに乗ったりして・・・)、 それなりに想い出があります。
 ただ、あまりに当たり前すぎて、“鉄”に目覚めてからも ほとんど写真など撮ることもなく廃止直前に慌てて撮り出したのですが、 なにしろ当時のお小遣いではフィルムなど買えず、 親のカメラに入っていたフィルムで撮るのが精一杯。 結局、写真として残っているのはホンの僅かなロクでもない写真ばかり。 あと2・3年もってくれれば、 それなりに写真を残せたのになぁ〜
 まぁ、何とか見れる写真だけでもご覧いただければ・・・と思います。
 長崎にて
 仙台市電の廃止後、多くの仲間が解体されていく中、 100型のうち5両が遠く長崎へ旅立っていきました。
 その後、長崎へは3度ほど行きましたが、 旧仙台市電(1050型)に乗れたのは最初の一度だけでした。 廃止から4年後のことでしたが、やはりとても懐かしく思ったのを 思い出します。
 次に行った時は滞在時間が短く見ることすらできず、 3度めの時には、既に動く車両は 1051号(旧117号)と1053号(旧119号)の2両のみ。 それも夏季以外の平日のラッシュ時のみの運転という寂しさでした。
 また、この間に1054号(旧121号)は遥か彼方のシドニー 路面電車博物館で動態保存されました (あちらでは長崎電車となっているそうで、何か納得いません(笑)  ただ、車内には仙台のデパートの広告が残っているらしい?)。
 その後
 廃止時に、1型1両、100型1両、200型1両、 400型2両の都合5両が仙台市交通局によって保管されました。  その後、 どこにいったのか全くわからないまま年月が過ぎていったのですが (仙台の市制100周年のとき、 市役所前に1型が展示されたことがありましたが・・・)、 平成3年に地下鉄富沢駅近くの車庫敷地内に仙台市電保存館が建設され、 車両が市民に公開されることになりました。
 ただ、残念な事に、 200型1両と400型1両の状態の悪く、 この間に解体されてしまいました。 という訳で200型を見ることはもうできません。

 もう1両、長崎に行っていた119号が役目を終えて、 仙台に里帰りを果たしました。 長崎時代の装いのままで、 今は仙台市太白区の秋保温泉の入り口に設置されましたが、 ちなみにこの場所は、昭和36年に廃止された 秋保電鉄の秋保温泉駅の跡地だったりします。
 将来は、走らせる構想もあるそうですが、 その時には、仙台市電の装いに戻してもらいたいものです。


左側に「写真館 メニュー」がご覧になれない方は、 ここ をクリックして下さい。